伊藤
今回の「くらしとあかり」というテーマなんですけれども、今まではくらしのあかりとか、住宅のあかりとか、シーンを一つ一つ見て考えていたような帰来があって、そうではなく、時間軸の中で「あかり」というものを考えていかなければならないんじゃないかと思うんです。何度も話をしているように、朝日が昇って日中明るくて、夜、夕焼けになって暗くなるというのが自然光のサイクルです。日中は、太陽の光ですから、どちらかというと受動的な光なんですね。あまりコントロールできない。その代わりものすごいエネルギーのあかりですべてが照らされているわけです。夜は、能動的な光、人がつくっている光に移り変わっていくわけですね。その移り変わりもやはり重要で、その流れの中で一つ一つ光を考えていくと、いろんな捉え方ができてくるんじゃないかと思うんです。「くらしとあかり」のコラボレーションをやっていく中で、様々な「あかり」の発見がなされていくこと、それが能動的なくらしのあかりの中でどう使われていくかということが大きなこれからのテーマだと思います。
真壁
伊藤さん、例えば今回のエキシビションでは、自然光も一つのメタファーになりますよね。類似性というか。しかも闇の中でぼーっと輝いている。だからこの色温度からしても時間の延長なんだけれども、時間を超えているというのか、両方の時間の意味合いを持っているような「あかり」だから長くいられたのかなと。恐らく昼と夜、両方同時に体験しているような不思議な場だったと思うんだけどね。
伊藤
おっしゃるとおり非常に不思議な感じで、きっと今までにない空間ができ上がったんじゃないかなと思っていますね。
真壁
かなり技術的な「あかり」の扱いがそうさせているんだろうと思うんですよね。
ここでエクスナレッジの大菅さん、何かご発言願えますか。
大菅
エクスナレッジという出版社の大菅と申します。皆さんのご発言で大体言い尽くされた感じなんですが、感想を少しだけお話させていただきます。やはり内容としては重複してしまうんですけれども、白い布がかけられて、そこにある場所性みたいなものが一度消し去られた後に、光る何かとして抽象化されたそれらがもう一回浮かび上がるというところで、また新しい場所性が出てきたと。それは光によって主張される流星みたいなものじゃなくて、その場にいる人たちが各自勝手に発見していく場面のようなものなのかなという印象を持ちました。そのガイドみたいな安らぎをここでの光は覆っているような、そんな感想を持ちました。いろいろな場所をそれぞれが発見して、その中で「くらし」というのが何なのかという問いみたいなものを各自が感じて、各自がぼんやりと答えの方向性をたぐりよせていく、そんなエキシビションになったんじゃないかと思います。
真壁
どうもありがとうございました。
もう一方、コンフォルトの小川さん、ご感想はいかがですか。
小川
コンフォルト編集部の小川と申します。光が下にある状態というのは、気持ちが高揚するものではないかなと思っていたんですけれども、会場に入った瞬間にそういうことは全くなく、重鎮というか、落ち着いた、浄化されるような気持ちになった。非常にそんな印象がありまして、新しい方向性というんでしょうか、さっきおっしゃったウエットなくらしというものとは全く別の「くらし」という可能性が拝見できたように感じました。
真壁
どうもありがとうございました。私ももう一度会場に行きたくなりましたね。

ヨコミゾ
さっき真壁さんが気持ちのいい場所を見つけるという話をされてましたけれど、これを、例えばですが、大きな大浴槽、露天風呂だと思っていただければいいかなと思います。ちょっと変な話ですけど、露天風呂に入ると、人は自分のおしりがすっぽりはまるところを探すんです。何となく座り心地のいいくぼみみたいなところを探して、背中の当たりぐあいのいいところを探して、そこで落ち着くわけですよね。だから、大浴場に入る気持ちで自分の一番なじむところを探してみて欲しい。ほかの人がいた場所に行ってみて、そこに自分も体を合わせてみる。床でもいいし、ソファでもいい。だから、しばらくお風呂につかる気分で最低でも10分とか20分とか、決してのぼせる空間じゃないので、もう一度帰りがけに……
松下
目線を下げて、下に座ってもらっても全然違うみたいです。
ヨコミゾ
そうですね。下に座る、あるいは寝転がるというのも有りかもしれない。
松下
じゃあ、入りにいきましょう。
真壁
大体時間になって参りました。先ほど大菅さんが少し触れられましたけれども、恐らく個人、個と「あかり」の問題、これは個性的にということではなくて、もっと個人自身が内面から光に積極的に出会って確認していくというような意味の個別性だと思うのですが、そういう時代にこれからなっていくだろう。より個性的な「あかり」を、「くらし」の中に取り込むというよりは、自分が本当に確信できる「あかり」というものが、こういうしつらえの中でも多様な個に対応する場所というものがきっと潜んでいるわけで、そういうものにより出会っていかないと本当の意味の個性、あるいは個別性に対応していくことにはならないんじゃないかなと思っています。
一方で、省エネも含んだあかりの一律化というか、一元化というのがどんどんこれから進行していこうとしているわけで、こうしたプリミティブなところでのくらし方に対する自身の感受性というものが、ますます大事になってくるんじゃないかなと思います。「くらしとあかり」エキシビションもなかなか確信にはたどり着かないんですが、一つ一つトライしながら、あと残り3回開催して参ります。またそこで新たな検討事項なりイマジネーションが生まれるんだと思いますね。本当に今日は長時間おつき合いいただきましてありがとうございました。ヨコミゾさんと松下さんに拍手を。(拍手)
事務局
どうもありがとうございました。
-終了-