遠藤照明

「くらしとあかり」プロジェクト

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第1回:トラフ×村角千亜希 2007年11月 第2回:井上搖子×角舘政英 2008年2月 第3回:ヨコミゾマコト×松下美紀 2008年5月 第4回:藤本壮介×石田聖次 2008年8月 第5回:棚瀬純孝×中島龍興 2008年11月 第6回:乾久美子×伊藤達男 2009年2月 石田聖次 伊藤達男 角舘政英 中島龍興 松下美紀 村角千亜季 乾久美子 井上搖子 棚瀬純孝 トラフ 藤本壮介 ヨコミゾマコト

真壁
 「くらしとあかり」エキシビションも最終回を迎えました。


 まず、今から1年半以上前に建築家の皆さんに「くらしとあかり」のプロポーザルをしていただきました。その折に、乾さんはこのように語っていました。「照明という技術が与える驚きや楽しさや快適さを自分は取り戻したい」。彼女は、その言葉の背景として、照明があまりにも装飾に堕しているんじゃないだろうかという、非常に本質的でラジカルなテーマに触れていたんです。そのことから考えると、今回は、ある意味では照明の持っている技術が生み出す、非常に地味ではあるけれども極めて過激なエキシビションになっていると思います。


 最近の乾さんの仕事、作品を拝見していると、「明るい」ということと「暗い」ということが彼女の中で非常に拮抗したテーマになっているんですが、明るさ、あるいは暗さというものに対して非常に先鋭的に考えておられる数少ない建築家の一人ではなかろうかと思います。


 一昔前までの建築の世界では、明るさ、暗さというものを、どちらかというと、サン・アンド・シャドー、光と影という形でとらまえていました。マルセル・ブロイヤーとかル・コルビュジエとかルイス・カーンが、あかりというものをシンボリックにとらえたり、あるいは建物の表情の奥行きをとらえるファクターとしてとらえることをやってきたわけです。しかしやはり、建築の有様が2000年辺りからだんだん変わってくる中で、単なる光というものから、あかりの持っている、もうちょっと内面的な問題意識が出てきたように思います。


 乾さんの最近作に「アパートメントI」という、建築があります。その建物は一部屋が20u程の小さな5階建てのアパートメントで、そのプランの一番の特徴として階段の扱いというものが工夫されています。各階とも立面の風景が違って見えるが、私が一番感銘を受けたのは、雑駁な町の中に建っているアパートのファサードが全部ガラスでできているということです。


 そして日中、屋外のあかりが入ってくる。あかりだけじゃなくて非常にわい雑な、色々な風景も飛び込んでくる。つまり明るさの中でも濁りのある明るさといいましょうか。つまりこれが、自分たちのごく自然な環境なんだという中で、明るさが建物の中に入って、それが人為的なあかりとして自分たちの日中のくらしを支えている。だから明るさの中にある陰り、あるいは濁りみたいなものを非常に感覚的につかまえているわけです。あかりに対して非常にセンシティブなとらえ方をしている。


 今、この目の前の風景も、実は暗さというものにチャレンジしているけれども、これは一方で、反転すると「明るさの中にある暗さ」という主題にもなるだろうし、ある意味では、建築の中で明るさ、暗さという議論をするとしたら、乾さんの思考は外せないなと思っています。ではまず、乾さんから解説、あるいはイメージをお話しいただけたらと思います。



 今、光と影というお話がありました。「かげ」というのは漢字で書くと2つあって、いわゆる「影」と、陰影の「陰」。真壁さんがおっしゃられたのは、かつては前者の影だけが建築の主題であったのではないかということに対して、陰影の陰のほうを考えているのではないかというような問いかけであったと思います。まさにその通りで、私はそうした陰影の陰というものを考えることで、もしかしたら建築が変わるかもしれないなと、変わるきっかけの一つになるかもしれないなということを考えています。


 今、目の前にできているエキシビションですが、ちょっとトリッキーな操作をしています。まずは非常によく目をこらして、目の前にあるインスタレーションを眺めていただきたいです。


 床がグレーで、そこに黄色と紫と白の造花が植わっています。天井には約12灯のスポットライトだけです。このスポットライトによって何本かの花はたいへん明るくなっているのですが、それ以外の花はそれなりにしか明るくないように見えています。


 しかしよく目をこらしていると、明るくなってないどころか、「どうしてそんなに真っ暗なの」みたいな(笑)、そういう花もちらほらまじっていることに、気づいていただけるのではないでしょうか。


 それとともに、グレーの床と花の関係性というものが、一般的に考えられている関係性、いわゆる普通の空間にスポットライトが当たっていることで起こる、床と物と光の関係と多少ずれた関係性にあるということに気づいていただけたらありがたいなと思います。


 例えば真っ白の空間があって、そこに照明が1灯ポンとついているという状況があったときに、私たちはそれに何も驚かない。そんな状況そのものに飽き飽きしているし、仕組みそのものも頭の中でパッと理解できてしまうからです。つまり、私たちの感覚は照明の効果に対してさほど驚かないほどに進化してしまっているのですが、そうした私たちにとって驚きのある光とはどういうことなのかということを考えようとしました。


 そのときに有効な手段のひとつとして、部屋という器と、そこに照射されている照明の効果との関係にずれを生じさせることだと思いました。そこで「地」になる部屋のほうに多少細工をして、照明で起こる効果をごまかすようなことをしたのです。