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ドラマの要請するライティング
―シネマトグラファー・辻智彦氏に聞く

2022.6.1
ドラマの要請するライティング<br><span>―シネマトグラファー・辻智彦氏に聞く</span>

『タロウのバカ』(2019年)監督:大森立嗣 製作:『タロウのバカ』製作委員会

映画で映し出される世界。多くはフィクションでありながら、現実社会の延長線上で描かれる。鑑賞者の一定の共感をもとに、作品の伝えたいことが成立するからだ。映画のライティングには演出や作劇の必然から多様なアイデアが盛り込まれている。
今回は、日本映画界の第一線で活躍するシネマトグラファー、辻智彦さんに話をうかがう機会を得た。創作のための光は、現実の照明とは異なる次元の世界だ。気持ちを楽にして読んでみてほしい。

光の力をドラマの力へ

「何から話していいかわからないですね」と、少し変わった切り口となる取材に戸惑い気味の辻さん。ごく基礎的なライティングのテクニックから教えてもらった。

「人物に対してする三点照明というものがあります。まずメインになるキーライト、斜め45度の少し高めの位置から当てるもので、これがあればおおよそ人物の表情などがとらえられる。次に押さえの光として、フィルライト。キーライトの反対側からやや影になるところを半分ほどの光量で当てて立体感を出す。最後にバックライト。これはキーライトの対角あるいは人物の真後ろから頭に当てるようにすることで、輪郭を出す、エッジを際立たせるという効果を持たせます」

あくまでも基礎であって、この通りにするとは限らない。これを発展させたり、応用することが一般的だという。

「映画の場合は、人間のドラマを描くことがベースになるので、それをどう表現するかが光や照明においても大事。ポートレート的に綺麗な光をつくるか、その場の環境光だけでまかなうか。ドラマの要請するライティングを考えていく必要があります」

辻さんはドキュメンタリー出身で、生の現場の映像を撮り続けてきた人だ。2004年から劇映画へ本格的に参入した。

「照明は使わずにその場にある光で撮っていくという経験を積んできました。もちろん映画のために環境に合わせて光をあつらえるのですが、有機的にドラマと絡み合って効果を持つことが理想的だとイメージしています。高名な監督である、スタンリー・キューブリックは元々カメラマンということもあり、光をどこに置くべきか、がわかっています。映像も非常にスタイリッシュですが、実は照明自体はとても単純なことが多い。なかでも私が好きなのは『時計じかけのオレンジ』(1971年)です。室内や夜のシーンでも1灯の大きなライトしかなく、一方向の強い影が出ます。そのシャープなコントラストによって、光の力をドラマの力に使っている。ですから、私にとっては少ない光で撮ることに違和感は少ないです。1940〜50年代のハリウッド映画などではとてもたくさん照明を使っていて、舞台照明に近い。非常に作り込んだ光です。それもいいのですが、私にとってより心に響く光はキューブリックのような手法ですね」

『タロウのバカ』
『タロウのバカ』(2019年)監督:大森立嗣 製作:『タロウのバカ』製作委員会

リアリズムと表現

辻さんが撮った『タロウのバカ』(2019年)は、社会からドロップアウトした若者たちの青春物語だ。ここでは一貫して光を人物から少しずらした。物語上、高架下だったり、工事中の建物内だったり、水銀灯や仮設灯などで十分な光環境ではないシーンが多い。「もちろん空間を成立させる、その雰囲気をつくる光をこちらでセッティングするのですが、それを人物にはあえて当てない。“光から逃げていく”という表現にしたかった」。

同じく、『MOTHER マザー』(2020年)では、意識的にはある光の操作をした。主演の長澤まさみさんはやさぐれた母親役で、その瞳にあえてキャッチライトを入れないよう心掛けた。「暗幕を床に敷いたりして、反射を抑え、瞳に“黒い映り込み”をつくりました」。

長澤さんのような国内のトップスターであれば、顔や瞳を明るく輝かせる光を丁寧につくるのが通常のはずだという。「長澤さんもいつもと違うと感じて、不安に思われたかもしれませんね」。

いずれもセオリーからは離れ、(鑑賞者から見れば)わずかな光の操作だが、作劇上の人物描写にもつながっている。

「充足された、決まり定まった光というものも必要なのですが、その場所から人が動くと、登場人物の意志ではなく、シナリオの段取り上、動いているという感覚になる。物語が動いたときに、そこに光がはまる瞬間みたいなものを狙っています。マーティン・スコセッシの映画にそういうところがありますね。“ゾーンに入る”というか、ドラマや人の動きに合わせて光が当たる。基本的にはリアリズムの光だけど、その瞬間だけ表現主義的になるみたいな感じです」

『MOTHER マザー』
『MOTHER マザー』(2020年)監督:大森立嗣 製作:2020『MOTHER マザー』フィルムパートナーズ。DVD&Blu-ray 発売中

光のもたらす日本的ニュアンス

最後にロケ撮影の多い辻さんに、現実の日本の空間の光について思うところを聞いてみた。

「日本を始めとして、東アジアで厳しいのは特に上から照らされる蛍光灯の存在ですね。天井が低いのもあって光がベタに回ってしまう。やはり撮る側としてはできるならば、カッコよく、美しく表現したいとは思っているので。ただ、日本の映画なのに、天井のシーリングライトをなくすとリアリティの面で難しい。日本的なニュアンスがなくなってしまうんです」

先述の『MOTHER マザー』ではほとんどのシーンがロケ撮影だ。一般の住宅や施設でのロケでは、天井照明を一部分だけ覆い、光が下品に回り込まないよう工夫を重ねた。リアリティと表現の狭間でなんとかバランスを取らざるを得ない。「例えば、住宅の台所で抑えた光にすると、違和感が出てしまう。映画は現実がそうである以上、しかたない部分がありますね」。

このことは、仮に同じ造形の空間だとしても、人の記憶がいかに光で印象付けられているかを意味している。

辻さんの最新作となる『グッバイ・クルエル・ワールド』(2022年秋公開)ではそこを逆手にとって光によって、日本的でない雰囲気づくりをしたという。話題作の撮影を次々に手掛ける辻さんの活躍を、光にも注目しながら期待したい。

『MOTHER マザー』
『MOTHER マザー』(2020年)監督:大森立嗣 製作:2020『MOTHER マザー』フィルムパートナーズ。DVD&Blu-ray 発売中
辻智彦(つじ・ともひこ)

1970年生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒。制作会社を経て、1998年フリーカメラマンとして独立。2011年ハイクロスシネマトグラフィ設立。撮影作品として、『17歳の風景 少年は何を見たのか 』(2005年)、『だれかの木琴』(2016年)、『止められるか、俺たちを』(2018年)、『MOTHER マザー』(2020年)、『グッバイ・クルエル・ワールド』(2022年)など。

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