真壁
 では、村角さんはどうですか。


村角
 私はこれを見たときに“ドリフ大爆笑”のような(笑)、一つの家の中を断面で切って、客席から傍観しているような、そんなイメージをまず持ってしまったんです。こちらで志村けんがお茶を飲んでいるけど、加藤茶はこちらで何か別のことをやっている。そしてその間は闇で、照明で区切られて、全部が同じ空間として認識されないという舞台がありますよね。それを思い浮かべて、やはり舞台照明的なことを連想しました。


 この棚瀬さんの図面を見ると、四つのブロックに何となく分かれていて、それぞれがきちんとフォーカシングされているというイメージと、あともう一つポイントだと思ったのは、やはり反射率。床の問題ですね。これを実現するのだったら、やはり焦げ茶系の反射率の悪い色にして、家具は例えば白っぽいものにする。そういうことをすると、そのフォーカシングされたものだけがそれぞれ浮かび上がってくると思います。


 ただ、四つのブロックが全て、天井面からのフォーカシングで終わってしまうと、それは少し違うように思っています。例えば、すごくリアルな話なんですが、このソファーコーナーに敷かれているラグが白くて、そのソファーの下に何か間接光みたいなものが入っていて、低いあかりできちんと照らされているとか、何かそういうものでメリハリをつけていく。ドリフ大爆笑が高級なドリフ大爆笑になるというイメージです(笑)。


 あとは色の話ですね。ブラックやホワイトでイメージしました。


イメージ

伊藤
 では、私の考えた案。今、石田さんからも村角さんからもお話があったように、やはり反射の問題ですね。反射をどうやってなくすかということによって、こういう空間は実現すると思いました。


 私が今考えているのは、黒のルーバーです。格子ルーバーのようなもの。そういうものを天井、床に張って、そこに光を、ルーバーを通して当てれば、ほとんど反射しないで抜けてしまうんですね。村角さんがおっしゃったように、家具を置けば家具だけが浮かび上がったり、その場にいる人物だけが浮かび上がったりするような形になるんじゃないかと考えました。


 CGで実際にやってみたんですが、天井と床の両方にルーバーを置いて、床からも天井からも光を出してみた。そうすると、この部分だけがぼんやりと明るくなる。ほかが全部消えてしまうんですね。棚瀬さんの最初のイメージは、暗い間仕切りをつくりたいというお話だったんですが、間仕切りみたいな形にはならないけれども、生活のその場その場の雰囲気というのは、このやり方で実現できると思っています。


 ただ、実際の製作となると、それをどういうふうにすればいいかというのは、これからの問題ですね。ちゃんとした床をつくらなくてはいけない。それは、例えばガラスの床であったり、ある程度光を透過するような、そういう素材でつくって、その下にルーバーを置くなどですね。そういうつくり方でできるかなとイメージしています。


 ただ、全く闇になってしまうと、きっと空間としてギスギスしてしまうと思うんですね。だから、黒よりも少し明度を上げたような状態で、微妙につながりを持っていく。そんなコントロールは、色彩でやればうまくいくのかなと思っています。


真壁
 棚瀬さんのワンルームのビフォーアフターみたいな雰囲気になってきましたね(笑)。要するに、居場所というか、場所のつくり方ですよね。私たちは、ずっと平面も、いわゆる壁で場所を区切ってきた。あるいは家具で区切ってきたわけだけれども、こうした照明を介した場所のつくり方というのは、まだまだ研究の余地があると思います。おそらく難波和彦さんの「箱の家」だって、こういう手法が非常に必要になる場面もあるんじゃないでしょうか。


 どのエキシビションもそうですが、何か基礎的な研究というのは、やはりプログラムとして大変必要になって参りそうですね。


村角
 床は黒過ぎないほうがいいかもしれない、ギスギスしてしまうからという、先ほどの伊藤さんのお話で思い出したのですが、よくコンテンポラリーダンスを見に行くんですけれど、ダンサーの人たちが一番踊りやすい床はグレートーンなんです。ものすごく足の裏への吸いつきがいいらしくて、皆さんそれを選ばれるらしいんですけれども。そのグレートーンの床が、照明のぐあいでブラックに見えるような瞬間があるんですね。やはりその微妙なグレーというのは、闇にもなるし、すごく明るい、それこそ白に見えるような瞬間もある。そんなイメージを思い出しました。


真壁
 だんだん棚瀬さんっぽくなってきたね(笑)。


棚瀬
 これとは少し違うのですが、以前やった建物で、鉄板でつくった家があるんです。


真壁
 『梅林』ですか。


トーク写真

棚瀬
 はい。本当にくりぬいただけの鉄板で、ガラスも何も入れないで部屋と部屋を仕切っているんです。そうすると、ふっとした瞬間に、そこから見た向こうの風景が本当に絵みたいに見えるんですよ。その部屋と向こう側が、単に仕切るというのではなく、かかわっているんだけれど仕切られているというような感じなんです。あれは結局は、光や照度であるとか、間仕切りであるとか、そういうのでできているのですが、やはり建築の設計と照明の設計をもう少し近づけていくと、そういうものも実現できるんじゃないかと思います。


 いつも「照明はこれを選んで、ここに」というふうにしてしまっているから、そうではなく、もう少し、本当に細部に至るまで、光をどうコントロールしていくかということができたらおもしろいと思います。


真壁
 照明家が住宅に参加するというケースも、なくはないけれども、かなり後になる。僕がこの「くらしとあかり」プロジェクトの一つの理想として考えているのは、今、構造家と建築家の関係が非常にアクティブであり、クリエーティブですよね。だから、照明家と建築家の関係も、もっとアクティブに、クリエーティブになっていいんじゃないかなと思っています。


 そういう意味で、今、建築家3名の「くらしとあかり」の中でのイメージというものがプロポーザルされたのですが、今度は照明家の皆さんが修練してきたイメージとか技術とか、今まで体系としてあったものを、一度壊して、それをどう生かせるのかと取り組んでいただくのがこれからの本当のおもしろさになるんだろうと思います。


 つまり、今のようなキャッチボールを通して、先ほどふっと出たような、外から家の中を照らせばいいという話になる。これは実は、ものすごい発想のジャンプですよね。例えば、梅林を外から照らしたらすごいことになりますよね。あの妹島(せじま)さんの作品の「梅林の家」というのは、おそらく照明はふわふわふわふわしているような質でありたかったんだろうと思います。あかりがこうつながっていくような。あるいは、先ほどの藤本さんの言葉でいうと、サラサラしたあかりとか、あるいは本を読むところなんかはドロッとしているのかもしれないけれども。その点、外から照らすというのは、様々な余地がありそうだなと感じます。おそらく照明としてのエネルギーもコントロールできるんじゃないでしょうか。


 では続いて、今日欠席されている乾久美子さん、井上搖子さん、ヨコミゾマコトさんのプロポーザルを、私のほうから説明しながら、照明家の皆さんに個々説明を加えていただきたいと思います。