真壁 
 ちょうどこういう感覚がアポロン的なるもの、つまり太陽のように明快で、合理的なもの、それからもう一つディオニソス(Dionysus)的世界というか、不条理ではかないもの。これはその後者のほうだと思うのね。これは稲垣足穂らが言っているルナティック派という月光派の世界だと思います。僕らはどうしても太陽派的なものに全部を合理的にからめ捕られているけれども、こういうひだがあったり、影があったりするルナティックな暮らし方というものも実はあるんだよということを、これからはやっぱり暮らし方を通して言っていく必要があるなと思います。


 そのことによって、極端な話、さっきから電気はあまり使っていない。節電しているわけですよね。ちょっと飛躍したことだけれども、サスティナビリティーという中に、太陽つまりアポロン的な志向による節電合理だけじゃない、もう少し違う世界の価値観があって、それに建築家も照明家ももうちょっと光を当てないとだめで、それにみんなに気づいてもらいたいという思いがありますね。だから、この感受性に興味が出てくる人たちもこれから出てくるだろうなという気がしますね。


 村角さん、計画の中で目からうろこというか、「あっ、これならいけそう」という場面はどの辺りであったんですか。


村角 
 蓄光シート、蓄光塗料を使いましょうという話になったときに、何か固定概念みたいなものがすごくあって、紫外線を浴びて光を蓄える。


真壁 
 いろいろなライトでシミュレーションしましたよね。


シンポジウム写真

村角 
 しましたね。やっぱり紫外線はブラックライトが一番多く出るので、最初はそういうものを使って初めに光をためて、光を消すとすごい発光の力があるので、ブラックライトから攻めていこうとしました。けれども、やはり暮らしの中にブラックライトはあり得ない。それでどんどん波長について調べていたんですが、ブラックライトよりもっと波長が短くなってくると、エックス線とかレントゲン写真を撮ったりするような光になってくるし、もっと波長が短くなると、放射線やガンマ線とかになってきてしまうので体によくない。


 しかし、「くらしとあかり」のエキシビションとして、こういう蓄光と共存するんだとしたら、やっぱり実際に暮らしの中で使っている白熱ランプでやれたら一番リアルだなと思ったんです。プロセスとしては、初めはブラックライトから始まって、紫外線の量が多いということで蛍光灯も候補に挙がってきたんですけれども、やっぱりトラフさんの世界では、蛍光灯は合わないように感じました。だから、いつも使っている白熱ランプで、この表現ができたら一番リアリティーがあると思ったのが最後の到達点でした。


真壁 
 作業の中で気づいたこと、発見したことはありますか。


禿 
 完成形になってからというと少しおかしいかもしれないですけれども、伊藤さんがおっしゃるようにこの空間はやっぱり暗いですよね。でも、夜は暗いものですよね。暗い中でできる体験というのがこんなにおもしろいのかということがあった。もちろんある程度は予測していたとしても、全然予測できなかったおもしろい効果もありました。


 例えば、リンゴなどは極端ですが、明るい状態では色を持っていますよね。赤い色です。もちろん色というのは光があって見えてくるものですけれども、光を落とした瞬間に黒い影をつくり出します。明るいときと暗いときの反転・影というものを扱う面白さがすごくありました。


シンポジウム写真

村角 
 もみじを見ていて私も同じようなことを思ったんですけれども、明るい瞬間のときには赤で見えたりするんですが、暗い状態の中だからこそ、どうも錯覚を起こしていくんですね。何で大人なのにこんな遊び続けているんだというぐらい、ずっと飽きずに実験をしながらついつい影で遊んでしまいました。


真壁
 何かこう、時間の感覚みたいなのが変わってきますよね。


村角
 変わってきますね。


鈴野
 本当に家のダイニングにこのテーブルがあって、自然光を4時とか5時までにたっぷり浴びているとしたら、4時間ぐらい経てば蓄光は消えていってしまうので、帰って真っ暗になっていたら寂しいから少しでも早く帰ろうとか、そういうふうになっていってもおもしろいかな。


真壁
 まあ、このダイニングではきっとサンマの塩焼きというわけにはいかないけれども、ちょっとお酒を飲んだり、そういう時間の過ごし方というのがあるよね。


村角
 やっぱりすごくゆっくりできますよね。30分とかあっという間。


真壁
 今までにこういう着想というのはなかったですよね。


村角
 もしかすると、家でもこういうほの暗いあかりで過ごしている人が、意外といるかもしれないんだけれども、このテーブルは遊べるから、ついつい何かいたずらが始まってしまうというか、全く飽きない。


真壁
 アースコンシャスという概念の中に、やはりかつてはそういうライフスタイルがあったと思うのね。お月見のときには無論家の中の電気を消して、縁側に卓袱台(ちゃぶだい)を出して、月をめでながらお茶を飲むなりお酒を飲むなり、そういうことをもうちょっと僕らは取り入れてもいいのかなというふうに思うんですね。だから、そのときにバックアップするというハードあるいはソフト、これもやっぱりこれからもっともっと提供すべきものなんだろうなと思いますね。


村角
 打ち合わせから事務所に帰っていくときに、すごくきれいな夕暮れだったりすると、スタッフと一緒に立ち止まったりする。そのときはもう何てきれいなんだと本当に感激するじゃないですか。そのくせ、あの仕事があるから帰ろうとか言って、事務所に入ってしまって、あかりをつけて、「仕事だ仕事」みたいなモードになっちゃう。だけどこういうツールがもっと増えてくれば、その夕焼けの時間以降、コンピュータなんて自分で光ってくれているのだし、わずかなあかりでも作業できたりとか、そういうアプローチがまだまだありそうですね。


真壁
 だから、極論すると近代性と日本というかな。何かそれをちょっと緩ませるような装置でしょう、これはね。能率が上がるとか、経済性が高まるとかという装置じゃないよね。


 伊藤さんの話だと蓄光というものが進歩しているわけだよね。だから、僕らが気づかない、知っていないマテリアルというのがまだまだ潜在しているんじゃないか。だから、「くらしとあかり」エキシビションはあと5回ありますけれども、エキシビションの中でこういう素材にも出会いながら、かといってそういう素材のオンパレードという展覧会でもないんだけれども、さらにイメージを膨らませていくようなエキシビションになっていくとすばらしいなと思っています。どれもこれも結構手ごわいプロポーザルですからね。


 伊藤さんはどうでしたでしょうか。出されたアイデアを体験されて。