鈴野
 建築なのでやっぱり空間ありきで、プロダクトとか全く自由に与えられたほうが手が止まってしまうんです。ですので空間の中でのある時間に絞ったようなワンシーンをイメージしていきました。例えば、この住宅を頼まれたとします。ここでのイメージは単身者なんですが、家賃を払って東京にいるのに昼間ほとんどいなくて、朝早く出て、夜10時とか11時に帰ってきてもう寝るだけみたいな人は、一日丸々部屋をあけているんですよね。そのために家賃も払ったりしている。その間何も感じられていないなということで、何か痕跡が残っていったらというように、具体的に考えていくところから始めました。


真壁 
 この後で登場する棚瀬純孝さんもそうだけれども、彼もやっぱり自分の日常の生活の中から「くらしとあかり」というのを発想していますね。妹島事務所から夜中2時過ぎに帰ってきたときに、子供が寝ているので非常に電気をつけにくいという中で、闇とあかりというものを必然的に考えざるを得ない。やっぱり生活の実感というものが、どうも僕らの時代とちょっと違うというか、リアリティーがあって、「くらしとあかり」というものを自分たちの身の丈の中から捉えようといったときに何か、これまでのあかりの場面を突き動かしていくエネルギーになるなというのをすごく感じるね。でも一方、藤本壮介君だとかは、比較的あかりに対する抽象的な概念でイメージしている。いろいろなタイプがこれからこのエキシビションに出てくると思います。


鈴野
 これからどうなっていくかが楽しみですね。


真壁
 そうそう。伊藤達男さんはこの後、乾久美子さんと組むわけでございますが、どうでしょう。建築家と照明家のコラボレーションというのは、これまであったようでなかったと思うんだよね。同じ中で遊びをするというのは。どうですか、これから向かわれる中で覚悟のほどは(笑)。


伊藤
 最近よく思うんですけれども、空間、住宅でも何でもそうですが、建築の要素、例えば壁、床、天井、そういう場、あと素材ですね。それから、その形。そういうものによって光というのはかなり変わってくるんですよね。


 さっきからこうやってずっと同じことをお話しているんだけれども、建築家のその選ぶ素材、それからつくる形によって光というのはコントロールされてしまうんですよ。我々は建築家の方々からそういう図面をいただいて、じゃあ、照明ではどういう解決をしようかというプランを立てるわけですけれども、多分光の要素の半分ぐらいはその素材や形にコントロールされてしまう。


 その残りの半分を我々がやるような形になるんですけれども、それはかみ合うときもあるし、かみ合わないときもある。お互いに反対のことをやっているときもある。それはわかってはいるんですけれども、やはりそれが最初のデザインのコンセプトであってなかなか変えられないとか、クライアントの希望がこういう方針だというようなことで、どうしてもそこはかみ合わないところがあったりするんですね。


 多分この後もいろいろな方々が提案されてくると思いますけれども、私はその辺は今までそれぞれの建築家の方によく聞いたことはないんですけれども、素材や形によって光をコントロールするという考え方というのは、建築家の方にあるのかどうか。まずは何か色彩計画であったり、素材の選び方であったり、そういうことが多分先に来ると思うんですけれども、そのときに光がどうなるかというような仕組みは、どういうふうに理解されながら進めていらっしゃるのかなと。ちょっと難しいですかね。多分照明デザイナーはみんなそういうことは考えていると思うんですが、意外とこの話というのはされていないんですよね。


真壁
 まともにやっていないのね。


伊藤
 そうなんです。結構時間がなかったりね。バーッと計画してしまうケースが結構多いんですね。あまりそれぞれの分野を侵したくないみたいな部分もあったり、いろいろあるんですけれども、本当はそこががっちりかみ合うとものすごく空間が生きてくるんだと思うんですね。村角さんはどういうふうに考えていますか。


村角
 例えば建築家のほうから使いたい素材とか、こういう世界がつくりたいというものをものすごく明確に提案された場合、もうそれにそっくり乗っかってやり切ろうみたいな、そういう気持ちになりますね。そのときはすごく楽しいし、やりやすいんですけれども、そうじゃないときもまたあるんですよ。


 例えば、空間の構成としてはものすごくおもしろい提案で、完成されているんだけれども、インテリアの見せ方とか、その空間が持っているパッと見たときの印象みたいなものをどういうふうにつくっていったらいいか、まだ決めかねていますという場合が結構あるんですよ。そういうときに光というのは、建築の中のマテリアルと同じものというふうに考えて、光と、例えば壁がこんなものだったら空間の中で生きてこないだろうかとか、そういう素材の提案を一緒にすることもあるんですよね。だから、両方のケースがあります。


真壁
 多分今起きている問題として、建築家と照明家が自分の提案の範囲を狭めてしまうことが一番良くないと思うんだよね。それから、従来的な照光物としての照明家の提案を越境できる照明家が必要なんだと思います。例えば伊東豊雄さんの多摩美の図書館みたいに、建築家があかりのイメージを作って、それを照明家が技術的に肉づけしていくというようなやり方もあるわけだけれども、何かその従来的な照明家の範疇を乗り越えていくような提案を、少なくともこの6回のエキシビションのこの場ではやりたいなと思っています。職能としての領域をお互いがはみ出していくようなコラボレーションが、この6回に求められているんだと僕は思います。


 だからある種、第1回目のこのさわやかさというのは、建築家か照明家かというテリトリーというか、縄張りを越えているから楽しいんだろうと思うのね。こういう関係というのは、これから特に住宅の中で出てくると、ラジカルになるかなと思うんだけれども。


 井上さんは住宅の照明というと、いつもどの辺りで壁に当たるわけですか。あるいはほとんどもう考えたくないというところなのか。住宅に限ってね。


井上
 考えるのが苦手だとは自分で思っていますね。クライアントに「暗いじゃないの」と怒られるのもすごく恐れています。恐れるあまりやはり少し明るめに、明るくできるようにしておこうということで逃げていますけれども、逆の見方としては暗くもできるようにしておこうみたいな、調節できるようにしておこうという、そういう単純な考え方にいま終始してしまっています。


 あと材質のことは、例えば壁とか天井が白いとそれだけで明るく見えるとか、そういうことを割と意識していて、逆に暗い色の部屋をつくってみようとか、例えば寝室だったらゆっくり寝るだけだから、もう明るい色は使わないようにしようというようなことは提案してみて、受け入れてもらったこともありますけれども。そうやって、暗いことを受け入れてもらったときは何かいつもほっとする感じなんですけれども、その辺を本当はクライアントの方に、もっと同じ気持ちになって光のことを語れればいいなといつも思っています。


真壁
 なるほどね。ここは落ち着くから暗くしましょうねみたいな、そういう説得に今のところは終始しているということですか。


井上
 そうですね。


真壁
 そこをもう一つ踏み込んで本当はやりたいんだけれども。


井上
 ええ、踏み込みたいです。